宇土貸本店、20年ぶりの訪問

今から20年前、阿蘇に2軒の貸本屋があった。店の名前は両方とも「宇土貸本店」、ご主人が宮地の店を、奥さんが内牧で店を切り盛りし、そこの売り上げで4人の子供を大学に通わせたというのだから大変な苦労があったに違いない。戦後間もなく開業。当時は娯楽が少なかったので貸本やは大繁盛、毎日朝9時から夜9時まで正月以外ほとんど休まず営業したそうだ。
昭和の終わりにはご主人が体調を崩しやむなく宮地の店は閉店することになる。それまで店に出した本はほとんど処分せずに倉庫のに保管してあったので、貸本漫画の初期作品がそのまま残っており、水木しげる白土三平、松本あきら、石森章太郎らの超プレミア本がそまま棚に眠っていたそうだ。
この話を聞きつけたのが当時絶版マンガ屋を始めたばかりのF氏。後に絶版マンガ専門店Mを立ち上げ、業界では知らぬものはないが、当時はまだ本好きなコレクターの一人にすぎなかった。
倉庫を見て彼は絶句したという。なんでこれほどの貴重な本がこれほど大量に熊本の田舎に眠っていたのだろう・・
あまりの量の多さに閉口して彼はほとんどの本を置き去り、めぼしいものばかりを抜いて帰ってしまう。その時彼が支払ったのは2万円だったそうだ。
一足違いでその店にたどり着いたが、残っていたのは大量の雑誌の山だけだった。そこの本を手に入れそこなったことは私にっとて生涯の痛恨事となった。

あれから20年以上の時が流れた。昭和の終わりにご主人は亡くなり、内牧に残っていた店は奥さんが引き続き営業していたが、平成2年にここを襲った水害により本が水没してしまいやむなく店を閉めることになった。営業期間は40年近くになっていた。その時も私はわずかばかり残った本を引取に内牧まで行ったことがある。
そして20年後、今度は民俗学の調査の一環で貸本屋を取り上げることとなり、内牧を訪れて久しぶりに奥さんの話を聞くことが出来た。来年は90歳になるということだが奥さんは至って元気で毎日カラオケ、食事会、グラウンドゴルフにいそしんでいるそうだ。当時どんな本が人気で、どういうお客さんが来ていて、どのくらいの売り上げがあって、子供たちの様子はどんなだったかという質問に実によどみなく答えていただいた。その記憶力の確かさには本当に驚かされてしまう。

両方の店も本も今はないが、あの頃の記憶は次の世代に語り継がれいつまでも残っていくだろう。次は当時すっと店に入り浸りだったという娘さんから話を聞く予定だ。この調査研究は民俗学の先生と一緒なので、専門的な手法を学ぶことが出来て大変有意義だ。貸本屋民俗学の調査対象になるなんて、やはり時間は確実に経過していることを実感させられた。そのうちコンビニも対象になる日がやってくるかもしれないね。