第6回 記事

昨夏の政権交代で残念だったのは、「国立メディア芸術総合センター」(アニメの殿堂)構想の頓挫だ。漫画やアニメなどの資料収集や展示、情報発信の場となる予定だったが、「ハコモノ事業」と批判され、中止になった。建物は
なくてもいいが、漫画コンテンツを守り、生かすために国がやるべきことはたくさんあるのに。
 対照的に、お隣の韓国では芸術振興のための大型プロジェクトが国策として進められている。例えば、光州市は「アジア文化中心都市」に、釜山市は「アジア映像文化中心都市」にそれぞれ指定され、大規模な予算をかけて関連施設の整備などが進行中だ。漫画やアニメも対象で、最近は富川市に「韓国漫画映像振興院」ができた。現地を訪れた明治大の藤本由香里准教授によると、ここでは漫画・アニメ産業のハブ(拠点)機能を持つ「漫画情報センター」を中心に、アニメフェスティバルや映画祭の運営委員会、コンテンツ産業の振興組織委員会などがそろっているという。
 日本では知られていないが、韓国漫画の歴史は古い。日本と同様、戦後は露店で売られ、貸本屋が登場し、多くの漫画家が育った。そうした韓国漫画史を彩る貴重な作品の原本や資料映像を展示する博物館もある。さらに、現在流通する漫画を読んだり、データベース化された情報を閲覧できたりする図書館、漫画家や関連産業を担う人材を育成する施設もそろっているという。私がこの欄で訴えてきたことは、韓国ではもうとっくに現実になっているのだ。
 米国の動きも見逃せない。先日話したハーバード大の先生によると、米国では日本の漫画とアニメの研究が盛んになっている。彼らは日本作品の人気の秘密は戦後60年で蓄積されたコンテンツの豊富さと多様性にあると分析。この分野の研究で主導権を握るために、日本のコンテンツを丸ごと手に入れようとしているという。実際、多くのバイヤーが日本で買い付けに走っており、私の知人のコレクターにも打診があった。かつて浮世絵が海外に流出したように、日本発の文化が国内で研究できなくなる恐れがあると言える。
 日本の漫画コンテンツは、劣化と外圧の危機にさらされている。その対策として考えられるのがデジタル化だ。次回はその動きを考えてみたい。