講演会「ゲゲゲのマンガ道」は今ひとつ
10月10日、鶴屋デパート東館6階で開催された古書展で私の講演会があった。去年も講演会をしたがその時のテーマは「マンガと共に60年ー戦後漫画私史」で参加者は16名だったが結構盛り上がった。今年のテーマは「ゲゲゲのマンガ道」。同様の内容で近代文学館で講演をしたところ1週間の延べ参加者は約5000人。その勢いを期待したが参加者は15名だった。テレビドラマが終ってしまったせいか水木のイベントとしてはちょっとさびしいものになったかもしれない。以下その講演会のレジメである。
第41回 熊本県古書籍商組合即売会講演レジュメ
1 「.ゲゲゲの女房」の話で前振り
・テレビを見ていたか
・紙芝居を見たことがあるか
・貸本屋に通ったことがあるか
それは何歳ごろ、場所は、どんな本を借りていたか
2 日本のマンガの隆盛振り
ワンピース最新刊310万部
少年ジャンプ300万部
世界各地のイベントで日本のマンガ、アニメが突出した人気
マンガによる町おこし 境港の水木ロード、神戸の鉄人プロジェクト
コンテンツ産業の経済規模拡大uruy
3 漫画黎明期のマーケット
・ 東京中心の表マーケット 大手出版社によるマンガ雑誌(小学館、集英社、少年画報社、秋田
書店、光文社、講談社、学童社) 連載分をまとめた単行本
・東京、大阪を中心とする裏マーケット ①紙芝居 ②赤本 ③貸本 すべて掻き下ろし
この表と裏のマーケットの存在が日本のマンガの層の厚さを形成
雑誌連載→少ないページ数で話しを進めた上で次回へのヒキまで考える技量
単行本→テーマ、表現法、ページの制限がない中でいかに話をまとめるかの技量
4 水木しげるの立ち位置(年表を見ながら)
すべてのマーケットを経験した稀有な存在(同様の例は白土三平、小島剛夕)
手塚治虫を初めとするトキワ荘グループはデビュー時を除いてほとんどが雑誌中心
水木はデビューが遅かったので2度地獄を見る
①紙芝居時代 原画1点ものしかないので商売の広がりは乏しい(実物例示)
関西と東京の二つの拠点 水木は関西 白土、小島は東京
②赤本時代 本来は売り本として作られた赤本(手塚治虫の新宝島)
赤本出版社は戦後しばらくは全国を市場としていたが次第に収縮
赤本出版社だった兎月書房は貸本出版社に転向(デビュー作ロケットマンを発表)
③貸本時代 白土、小島は人気作家だったが水木の作品は読者を選ぶのであまりヒットせず
貸本屋の減少、貸本出版社の倒産相次ぐ
水木マンガのルーツはこの時期に完成
貸本マンガ約180作品 すべて稀少価値高い マンガを示しながら説明
○水木3部作(鬼太郎、河童の三平、悪魔くん)、○時代モノ ○戦記モノ ○SFモノ
○少女モノ ○エッセイモノ
④マイナー雑誌時代 月刊ガロに掲載 原稿料1ページ500円 良質の作品が集中
⑤メジャー雑誌デビュー 講談社少年マガジン 墓場の鬼太郎、悪魔くん、ゲゲゲの鬼太郎
その新創刊されたビッグコミックなど青年誌にも進出
5 熊本の貸本屋
人口密集地に集中 学校、銭湯、商店街の裏通り
第一環状線の路線が特に多かった
昭和30年代までは熊本は九州の文化の拠点
紙芝居、貸本屋の九州の本締めは熊本にあった(?)
熊本駅、南熊本駅周辺、五幅、慶徳、城東、一新小付近に集中
京町、坪井、子飼、大江、本荘にも点在